2019年06月07日
研修会ってのがあってさ
自社では半年に一度、研修会という
いわば、会社の現状や、今後の方針などを店長たちに伝達する場があります。
昔は「店長会議」と呼ばれていましたが、完全にトップダウンな一方通行ですからね・・・
「会議」のほうが違和感あって、たしかに「研修会」が妥当なネーミングです。
ただ、昔は東日本と西日本を2分して会議が行われていたので、400人ほどの店長たちがホールに集まり、それはそれは迫力ありました。
地方の主要都市に店長たちが各日30人~40人集まるわけですが、それが全国で順次開かれ、なんとその回数約30回という驚愕な数字を今回聞かされました。
ちなみに私は福岡でありました。
この研修会での発言するのは
直営部部長です。
正直「うわぁぁぁぁぁぁぁ、これ30回もするのかよ・・・」と部長の労力にまずは感嘆します。
自社は業界1位ではないとはいえ、いっても全国に1000店舗ある大企業です。
その直営部部長兼商品部部長兼役員の方なので、どれだけ凄い方かはご察しください。
今回の研修会は私にとっていつもと違います。
なぜなら、先日はじめて私の店舗に巡回した経緯があり、そこでTwitterの店舗発信を提案しているからです。
詳しくは↓↓↓
部長巡回があってさ
イケマサ🤩@100均のプロ販売士筋肉作家@ike_masaki部長巡回終了
2019/05/20 16:53:00
いただきました
/
こんな売場見たことない
\
ここまでの売場をしてればSNSに舵を切るのも理解できる
どういう発信がしたいのかまとめて報告してと。
店舗画像や陳列技術を公認の上で発信できるのもあと少し🤩🤩🤩
うっしゃあ~~🔥🔥🔥
このツイートにあるように、どういう発信がしたいのかをまとめてくれと。
Twitterの発信だけでなぜこんな時間がかかってしまうのか・・・
と思いますよね・・・
私もです・・・
いや、もちろんわかります。
会社が大きければ大きいほど、そのリスクは絶大です。
まして、バイトテロがこれだけ横行している昨今。
慎重になる方が普通でしょう。
自書で「綺麗すぎる売場ならウンコでも落ちていた方がマシだ」という主張があります。
本当にそんなものを実践してTwitterにでもあげたならば、ワイドショー独占間違いなし。
私のダンベル持ったあの姿が一気に全国デビューですよ。
それだけじゃない。
自社の株価と信用は暴落して、多くの家庭崩壊を引き起こす。
でも、私の主張は「だからってやらないのはおかしい!ルールを作りましょうよ!!」というもの。
でも、部長は直接こう言ってくれました。
「最初からルールなんて作れるもんじゃない。ルールはやりながら修正していくもんだ」と。
そんなこんなで(だいぶ省きますが)
2週間後に今回の研修会があるのはわかっていたので
そこに標準をあわせて、提案書を作ります。
もちろん、その間でも上司とは詰めていました。
ホント、私うるさい部下だと思いますよ・・・
それで今日です。
イケマサ🤩@100均のプロ販売士筋肉作家@ike_masaki研修会終わった🤩
2019/06/07 13:42:29
店舗からのTwitter発信を部長に提案
「Twitterは頻度が大事よ。店舗運営しながらホントにできるんだね?」
「できます!やらせてください!!」
今度の役員会で提案してみるから、具体的に何を発信する… https://t.co/P8zODXP6B2
一見、何かこれ進捗あったのか???
そう思いますよね。
だって、「どういう内容を発信したいのかをまとめて」って以前聞いた話です。
完成させた提案書がワード1枚にまとめたもので
自社のSNS戦略の問題提起からはじめたのです。
具体的な発信内容を意識しなかったことはないのですが、たしかに少なすぎた。
ただ、部長の表情を目の前で見た私は確信しました。
「これはマジでいける!!」
直感です。目つきが違う。
もちろん、言って下さる1文字1文字にも感じました。
ツイートには書いていないですが
「池田さんが一番やりたいのは何?インスタ?LINE@??Twitter???」と。
ツイートにもあるようにTwitterで何を発信するのか?
そんなもん、すでにイメージしすぎて、もう昨日の思い出のような描写ができますよ!
詳細は省きますが、他店舗スタッフもお客様もフォローしたくなる究極の店舗アカウント。
「神がかった陳列」の数々を世界の人たちにみてもらうのです。
何度も言わせます。
「すげぇ~~~~~」と。
もはや、私の陳列はアートなのです。
店舗はマネができるし、なるほど新商品はそうやって入れ込めばいいのかと。
お客様は店に行きたくなる。そんなにたくさんの商品があるのかと。
そんなアカウントを私は作れるんです。
私が事例を作り、次々に店舗アカウントが増えます。
部長がいうように並行してルールもできます。
そして、Twitterに自社旋風を巻き起こす!!!
あなたのTwitterのタイムラインに自社がこれでもかと出てきます。
それだけじゃない。
使い方次第では、マイクロインフルエンサーの方々とウィンウィンの関係が間違いなく築ける。
おすすめ商品を紹介してもらい、店舗に行って紹介してもらい、そして発信してもらう。
それに対する報酬も多岐にわたる。
まだ、はじまってもないですが
これは間違いなくいけます。
理由は簡単。
これだけみんなスマホ見てるなら、そこへの出現率なんですよ。
もはや、スマホ画面上の取り合い合戦です。
次は何を発信するのかだけにフォーカスした提案書を作ります。
みなさんに私の店舗の画像が公認の上でお披露目できるのを夢見て!!
↓私が書いた電子書籍です↓
もし興味あるものがあればぜひ読んでください!!
m7322 at 18:18|Permalink│Comments(0)
2019年05月30日
キーパーソン(2人目)
キーパーソン2人目です。
ここから一気に飛びます。
なぜなら私の高校生活、浪人生活、大学生活は光がありません。
失われた10年・・・
まぁ、この底辺味わったおかげでそのあとは上昇しかないのですが。
女性と付き合うことだけしか頭になく、キーパーソンの1人目である顧問の先生が育ててくれた「サッカースキル」も捨て、浪人生活では遊びにふける。大学生活では1年間引きこもりでそのあと中退。
変態クソ野郎です。
引きこもりはホンモノのやつです。
1人暮らしで、1年中ゲームだけ。外に出るのは食料の調達のみ。
このときって、時間の流れの速さがヤバいですね。
中退したあとのバイト生活も
バイトサボって、そのまま行かなくなったり
バイトのレジ中に当時付き合っていたいまの嫁のお尻触って、クレームきたり
手が滑って割ったお酒も隠して黙っていました
これが経験としてあるもんだから、いま統括店長として27人のスタッフを見ていると、全員が素晴らしく見えます(笑)
もし、学生の男の子がレジ中に付き合っている女の子のお尻触ってクレームきても私は怒れませんので。
そして、ハローワークで偶然
「新規オープニング正社員募集」を見て、電話し、合同面接を受けます。
電話がきて「正社員としての採用ではなく、準社員としての採用はどうでしょうか?」と。
まぁ、働くこともずっとしていなかったので、また探せばいっか!と入社します。
不思議ですよね・・・
そんな会社にもうすぐ15年いるんですよ・・・
しかも、いまやその会社を変えてやろうと奮闘している始末。
それは、この2人目のキーパーソンである上司のおかげです。
小売の世界では「スーパーバイザー」という名でピンとくる方が多いかもしれません。
自社では「地区担当」という名で認知されています。
最初の会話は1人目のキーパーソン同様に怒られます(笑)
閉店後のレジ締めでレジ差異が5000円ほど出たときです。
当時、少しでも地区担当の耳に出現したい私は、店長を飛び越え地区担当に直接電話しました。
そのときの店長は兼任でして、まぁこの方がホントにできない店長で私も若かったものでして、悪気はないのですが、有力な指示ももらえないだろうと、報告を1つ飛ばしたんですね。
まぁ当たり前ですが、こう言われます。
「報告する順番が違うだろ!」と。
とにかくそのあとも、私はその地区担当にメールをしまくりました。
すべて店長になりたいと夢を見た私の決意表明です。
「オレはここにいる!!」と。
もちろん、口だけじゃない。
毎月1日しか休まず、15,6時間毎日働いていました。
全員ライバルですからね、みんなこれぐらい働いているだろうと思ったら、西日本で超過勤務時間が1位だったことがありますが・・・
(まぁ、このパワープレーはいまの時代では歓迎されないです)
それを1年ほどやっていてようやく、「あいつマジだな」感を持ってくれます。
私を気にかけてくれるようになったのです。
それがわかったのは、あの顧問がくれた同様の視線だったから。
そうなってくれると、さらに私は加速します。
期待を大きく超えるために、成果も出し、とことん目立っていきます。
それで、2年目にしてやっと「池田くん、社員試験受けてみるか?」と。
そのときの試験は大阪であったんですが、空港に着くと
「場所がわからないなどあれば、連絡しろよ!頑張れ!!」と
社員登用試験に受かり、
それからもホントにいろいろやりました。
シャボン玉を売るために店の中で実演販売し、店内をシャボン玉だらけにしたことも。
「出る杭は打たれるが出過ぎる杭は打たれない」
まさにこれで、もちろん敵も多く作りましたが、最大の理解者も作ってきた。
その中の1人がこの地区担当でした。
宮崎ですべてをやり尽くし、目立ち過ぎた私は、その担当から連絡がきて
「熊本に今より規模の大きい店がある。やってみるか?」といわれ
「はい!!」と即答しました。
いまや、その熊本に家も建てて、3店舗を統括している。
この方とのエピソードを語れば、3万文字はいける。
(あっ!次のテーマ、これでいこうかな・・・)
その中でも一番驚いたのは、4年前の熊本地震のとき。
21時過ぎ、閉店後のモップがけをしていた私は、大きな揺れとともに商品がかかっているフックにつかまり、その場に倒れます。
まわりを見渡すと、空間がグニャグニャになっている感じで、天井の防炎壁がスローモーションで割れていきます。
揺れがちょっと収まったので、避難扉から駐車場に逃げました。
地震が起きて、3分も経っていないそのとき。
事務所の電話がかすかに聞こえます。
震度7の直後です。まだ、微妙に揺れているなか、なぜだかその電話には出らないといけないような気がして、事務所に入ろうとしたとき、一緒に逃げたスタッフが
「店長!!まだ揺れているからだめだよ!!」と言ったのを覚えています。
それでも電話に出たら、この地区担当でした。
ちなみに、このときは直属の上司ではなく、まったく別のエリアの担当だったのです。
「池田くん、大丈夫??」
いままでの社会人生活で、この手の質問には100%「大丈夫」と答えてきた私がはじめて「大丈夫じゃないです」と答えます。
「すぐ片づけようと思ってるだろうけど、売場には戻ったらだめだよ。しばらく営業は無理だろうから、とにかく身の安全を優先して、そしてゆっくりでいいから、スタッフの安否確認をお願いね。電話は使えなくなるだろうから、メールでお願い。」
と。
なんと翌日に、公共の交通機関が完全にマヒしているなか、自家用車で救援物資を詰め込んで北九州から熊本まで飛ばしてきたのです。
私は私で、半日でぐちゃぐちゃな売場を3人のスタッフとともに立て直し、明日営業ができるところまでもっていっていたので、担当は相当驚いていましたが。
ただ、不運にもその日の夜、同じ震度7の地震がきてしまうのですが・・・
そんなこんなで(かなり省きますが)
その地区担当もいまや西日本所長という
1000店舗ある直営でTOP5に入る方。
それでもいまや、LINEのやりとりもさせてもらえている。
個人的な連絡が取れることが普通ではあり得ないのですが。
「池田会」というものも半年に一度、開催してくれて、私の知恵や知識を聞かせてくれと集まりを開いてくれます。
そして、これだけ環境が大きく変化している中で自社も大きく変わるべきだし、私自身も大きなことを成し遂げたい。
最大の理解者である上司が西日本所長という立ち位置にいる今が私にとってチャンスなのです。
ちなみにこの方は自書のほとんどのタイトルで一度は登場するほど私の人生に影響力を持っています。
3人目のキーパーソンも上司なのですが、またこの方とはタイプが違って、私の人生を大きく変えてくれた。
とことん、私は上司に恵まれた幸せ者だと思っています。
↓私が書いた電子書籍です↓
もし興味あるものがあればぜひ読んでください!!
ここから一気に飛びます。
なぜなら私の高校生活、浪人生活、大学生活は光がありません。
失われた10年・・・
まぁ、この底辺味わったおかげでそのあとは上昇しかないのですが。
女性と付き合うことだけしか頭になく、キーパーソンの1人目である顧問の先生が育ててくれた「サッカースキル」も捨て、浪人生活では遊びにふける。大学生活では1年間引きこもりでそのあと中退。
変態クソ野郎です。
引きこもりはホンモノのやつです。
1人暮らしで、1年中ゲームだけ。外に出るのは食料の調達のみ。
このときって、時間の流れの速さがヤバいですね。
中退したあとのバイト生活も
バイトサボって、そのまま行かなくなったり
バイトのレジ中に当時付き合っていたいまの嫁のお尻触って、クレームきたり
手が滑って割ったお酒も隠して黙っていました
これが経験としてあるもんだから、いま統括店長として27人のスタッフを見ていると、全員が素晴らしく見えます(笑)
もし、学生の男の子がレジ中に付き合っている女の子のお尻触ってクレームきても私は怒れませんので。
そして、ハローワークで偶然
「新規オープニング正社員募集」を見て、電話し、合同面接を受けます。
電話がきて「正社員としての採用ではなく、準社員としての採用はどうでしょうか?」と。
まぁ、働くこともずっとしていなかったので、また探せばいっか!と入社します。
不思議ですよね・・・
そんな会社にもうすぐ15年いるんですよ・・・
しかも、いまやその会社を変えてやろうと奮闘している始末。
それは、この2人目のキーパーソンである上司のおかげです。
小売の世界では「スーパーバイザー」という名でピンとくる方が多いかもしれません。
自社では「地区担当」という名で認知されています。
最初の会話は1人目のキーパーソン同様に怒られます(笑)
閉店後のレジ締めでレジ差異が5000円ほど出たときです。
当時、少しでも地区担当の耳に出現したい私は、店長を飛び越え地区担当に直接電話しました。
そのときの店長は兼任でして、まぁこの方がホントにできない店長で私も若かったものでして、悪気はないのですが、有力な指示ももらえないだろうと、報告を1つ飛ばしたんですね。
まぁ当たり前ですが、こう言われます。
「報告する順番が違うだろ!」と。
とにかくそのあとも、私はその地区担当にメールをしまくりました。
すべて店長になりたいと夢を見た私の決意表明です。
「オレはここにいる!!」と。
もちろん、口だけじゃない。
毎月1日しか休まず、15,6時間毎日働いていました。
全員ライバルですからね、みんなこれぐらい働いているだろうと思ったら、西日本で超過勤務時間が1位だったことがありますが・・・
(まぁ、このパワープレーはいまの時代では歓迎されないです)
それを1年ほどやっていてようやく、「あいつマジだな」感を持ってくれます。
私を気にかけてくれるようになったのです。
それがわかったのは、あの顧問がくれた同様の視線だったから。
そうなってくれると、さらに私は加速します。
期待を大きく超えるために、成果も出し、とことん目立っていきます。
それで、2年目にしてやっと「池田くん、社員試験受けてみるか?」と。
そのときの試験は大阪であったんですが、空港に着くと
「場所がわからないなどあれば、連絡しろよ!頑張れ!!」と
社員登用試験に受かり、
それからもホントにいろいろやりました。
シャボン玉を売るために店の中で実演販売し、店内をシャボン玉だらけにしたことも。
「出る杭は打たれるが出過ぎる杭は打たれない」
まさにこれで、もちろん敵も多く作りましたが、最大の理解者も作ってきた。
その中の1人がこの地区担当でした。
宮崎ですべてをやり尽くし、目立ち過ぎた私は、その担当から連絡がきて
「熊本に今より規模の大きい店がある。やってみるか?」といわれ
「はい!!」と即答しました。
いまや、その熊本に家も建てて、3店舗を統括している。
この方とのエピソードを語れば、3万文字はいける。
(あっ!次のテーマ、これでいこうかな・・・)
その中でも一番驚いたのは、4年前の熊本地震のとき。
21時過ぎ、閉店後のモップがけをしていた私は、大きな揺れとともに商品がかかっているフックにつかまり、その場に倒れます。
まわりを見渡すと、空間がグニャグニャになっている感じで、天井の防炎壁がスローモーションで割れていきます。
揺れがちょっと収まったので、避難扉から駐車場に逃げました。
地震が起きて、3分も経っていないそのとき。
事務所の電話がかすかに聞こえます。
震度7の直後です。まだ、微妙に揺れているなか、なぜだかその電話には出らないといけないような気がして、事務所に入ろうとしたとき、一緒に逃げたスタッフが
「店長!!まだ揺れているからだめだよ!!」と言ったのを覚えています。
それでも電話に出たら、この地区担当でした。
ちなみに、このときは直属の上司ではなく、まったく別のエリアの担当だったのです。
「池田くん、大丈夫??」
いままでの社会人生活で、この手の質問には100%「大丈夫」と答えてきた私がはじめて「大丈夫じゃないです」と答えます。
「すぐ片づけようと思ってるだろうけど、売場には戻ったらだめだよ。しばらく営業は無理だろうから、とにかく身の安全を優先して、そしてゆっくりでいいから、スタッフの安否確認をお願いね。電話は使えなくなるだろうから、メールでお願い。」
と。
なんと翌日に、公共の交通機関が完全にマヒしているなか、自家用車で救援物資を詰め込んで北九州から熊本まで飛ばしてきたのです。
私は私で、半日でぐちゃぐちゃな売場を3人のスタッフとともに立て直し、明日営業ができるところまでもっていっていたので、担当は相当驚いていましたが。
ただ、不運にもその日の夜、同じ震度7の地震がきてしまうのですが・・・
そんなこんなで(かなり省きますが)
その地区担当もいまや西日本所長という
1000店舗ある直営でTOP5に入る方。
それでもいまや、LINEのやりとりもさせてもらえている。
個人的な連絡が取れることが普通ではあり得ないのですが。
「池田会」というものも半年に一度、開催してくれて、私の知恵や知識を聞かせてくれと集まりを開いてくれます。
そして、これだけ環境が大きく変化している中で自社も大きく変わるべきだし、私自身も大きなことを成し遂げたい。
最大の理解者である上司が西日本所長という立ち位置にいる今が私にとってチャンスなのです。
ちなみにこの方は自書のほとんどのタイトルで一度は登場するほど私の人生に影響力を持っています。
3人目のキーパーソンも上司なのですが、またこの方とはタイプが違って、私の人生を大きく変えてくれた。
とことん、私は上司に恵まれた幸せ者だと思っています。
↓私が書いた電子書籍です↓
もし興味あるものがあればぜひ読んでください!!
m7322 at 00:40|Permalink│Comments(0)
2019年05月28日
キーパーソン(1人目)
みなさんにとって「キーパーソン」っていますか?
私。この「キーパーソン」との出会いが人生において一番重要だと思うのです。
学生時代の恩師
高校のときの親友
部活の顧問
会社の上司
など、みなさんが思い出せば3,4人は存在するのではないでしょうか。
逆にこの「キーパーソン」を「オレ、20人はいるんだけど!!」
とかは個人的にしてほしくないんですよね(笑)
やはりそこは、自分の人生に最強に影響を与えた人物として厳選してほしいのです。
そう考えると、このキーパーソンになれる人というのはそんなに多くはないはずだろうと。
勝手に人口の1割もいないんじゃないかな~なんて思ってます。
悔しいかな、私はそういった偉業を35年間生きてきて一度も実現できていない・・・
そうなると、勝手ながら3,4人に絞られるのではないかなぁ・・・なんて思います。
これを「それでも私は10人いるよ!」ってな人は、この幸せ者!!!と言ってやりたいです。
「お前のキーパーソンは誰なんだよ」ですか?
私は決まっています。
先にいうと、4人います。
でも、5人目になってくれそうな方も直感で感じている。
すごい文術。人(私)を見る目。内なる強さと優しさ。
この方には嘘つけない。すべてお見通しという感じ。
尊敬しかないですね。
4人目は。
もう2年前になりますか・・・
早くこの方のことを書きたくてウズウズしますが、ここはゆっくりいきます。
なんせキーパーソンなので
1人ずつの紹介ができればと思います。
時系列にいけば
まずは1人目。
中学2年のときに出会った
サッカー部の顧問。
最初の出会いは忘れもしません。
その顧問が私の学校に着任してすぐ。私が2年になってすぐですね。
放課後の練習で、外が土砂降りの雨だったので教室で筋トレのメニューになります。
そこで、私は2人1組で行う、トレーニングのときに友だちとふざけていました。
すると、その顧問が近づいてきて・・・・
私の目の前に立ち。ニヤッと笑いました。
その瞬間!
顔面をおもいっきり往復ビンタされ、倒れた私の胸ぐらをつかみ立ち上がらせ、さらに投げ飛ばします。教室の机がいくつも倒れ、頭も強打し、もはや恐怖のあまり私の記憶はしばらくありません。
あとで友だちに聞くと、そのあとも蹴られ殴られまくりで、20人ぐらいのサッカー部員が恐怖のあまり静まりかえっていたと。
ただですね、このころの時代で教師の体罰ってのはそこまで珍しい光景でもありません。
私もだいぶなクソガキだったので、殴られ、蹴られたのは数知れず・・・
一応、書いときますが体罰はダメです!
記憶がもどると、廊下に投げ飛ばされていました。
人間。恐怖が絶頂に達すると「おしっこ漏らす」という現象を私はここで体験しました。
決して漫画に限られた描写じゃないですね(笑)
殴られ慣れているはずなのに、おしっこまで漏らすのです。
かなりの破壊力だったのでしょう。
「ふざけるなら帰れ!!!!!」
そう言われた私はゆっくりと歩いて帰っていきました。
土砂降りの雨で、傘もささず、そのときおしっこが綺麗に流されるからいっかと40分ゆっくり歩いて家に帰っていきました。
昨日のことのように鮮明に覚えている。
帰り着いても、親にはなにも言わず、すぐにお風呂に入りました。
湯舟に浸かったときに体中ヒリヒリしてはじめて、とんでもなく殴られたことに気付きます。
翌日、土砂降りの雨が一転。
快晴になり、放課後、いつもどおりグラウンドで練習がありました。
昨日の出来事が若干頭をよぎり、練習に行くのを躊躇しましたが、そのときの私はそれはそれはサッカーが大好きで、放課後の練習のために学校に行っているようなものです。
「サッカーがしたい!」
これが、昨日の恐怖よりも断然に勝り、普通に練習に行きます。
そして、忘れもしません。私を見たときの顧問の顔を。
目が見開き、完全に心でこう言っていました。
「お前。よく来たな・・・」と。
いま考えると、このときに顧問は私のサッカーに対するホンモノの気持ちを感じてくれたんだと思います。
そのあとはいろいろありすぎて、長くなるのですべては語りませんが
常に私のことを見てくれていて、中学2年で3年中心のチームのレギュラーになり、県の試合で決勝戦まで行きました。
決勝戦は地元のテレビ局で生中継されます。
相手があまりに強すぎて前半終わって3対0です。
後半残り半分、あきらかに私が出る状況ではありません。
しかし、私は呼ばれます。「行ってこい」しか言われませんが、感じることができます。
「この感覚を身体に染みつけてこい。そして、3年になったとき全員をひっぱっていけ」と。
3年になっても直接的な言葉は一度もないですが、ずっと気にかけれくれているのがクソガキな私でも感じることができました。
でも、このやりとりの連続で、いまの私の「言葉にならない言葉を読み取る力」は育ったのだと思いたいですね。
そして、卒業のとき
やはり最後の最後まで私への「特別な言葉」はありませんでしたが、その翌日。
部活の最後の懇親会に言ってきた母親が家に帰ってきて、こう言います。
「あんた・・・顧問の〇〇先生がいままで一番怒ったのはあんただってね。あんなに怒ることは最初で最後だろうって笑いながら言ってたけど、あんた何したの??」と。
2年前の「あのとき」がお互いに強くあった私たちは特別な言葉が1つもなくても
ここまで深く付き合えた。
この母親の言葉を聞いた瞬間にこの顧問の先生は「キーパーソン」になります。
私に真剣な場での「おふざけ」を断絶してくれ、私は承認される人間なんだと確信させてくれた。
↓私が書いた電子書籍です↓
もし興味あるものがあればぜひ読んでください!!
私。この「キーパーソン」との出会いが人生において一番重要だと思うのです。
学生時代の恩師
高校のときの親友
部活の顧問
会社の上司
など、みなさんが思い出せば3,4人は存在するのではないでしょうか。
逆にこの「キーパーソン」を「オレ、20人はいるんだけど!!」
とかは個人的にしてほしくないんですよね(笑)
やはりそこは、自分の人生に最強に影響を与えた人物として厳選してほしいのです。
そう考えると、このキーパーソンになれる人というのはそんなに多くはないはずだろうと。
勝手に人口の1割もいないんじゃないかな~なんて思ってます。
悔しいかな、私はそういった偉業を35年間生きてきて一度も実現できていない・・・
そうなると、勝手ながら3,4人に絞られるのではないかなぁ・・・なんて思います。
これを「それでも私は10人いるよ!」ってな人は、この幸せ者!!!と言ってやりたいです。
「お前のキーパーソンは誰なんだよ」ですか?
私は決まっています。
先にいうと、4人います。
でも、5人目になってくれそうな方も直感で感じている。
すごい文術。人(私)を見る目。内なる強さと優しさ。
この方には嘘つけない。すべてお見通しという感じ。
尊敬しかないですね。
4人目は。
もう2年前になりますか・・・
早くこの方のことを書きたくてウズウズしますが、ここはゆっくりいきます。
なんせキーパーソンなので
1人ずつの紹介ができればと思います。
時系列にいけば
まずは1人目。
中学2年のときに出会った
サッカー部の顧問。
最初の出会いは忘れもしません。
その顧問が私の学校に着任してすぐ。私が2年になってすぐですね。
放課後の練習で、外が土砂降りの雨だったので教室で筋トレのメニューになります。
そこで、私は2人1組で行う、トレーニングのときに友だちとふざけていました。
すると、その顧問が近づいてきて・・・・
私の目の前に立ち。ニヤッと笑いました。
その瞬間!
顔面をおもいっきり往復ビンタされ、倒れた私の胸ぐらをつかみ立ち上がらせ、さらに投げ飛ばします。教室の机がいくつも倒れ、頭も強打し、もはや恐怖のあまり私の記憶はしばらくありません。
あとで友だちに聞くと、そのあとも蹴られ殴られまくりで、20人ぐらいのサッカー部員が恐怖のあまり静まりかえっていたと。
ただですね、このころの時代で教師の体罰ってのはそこまで珍しい光景でもありません。
私もだいぶなクソガキだったので、殴られ、蹴られたのは数知れず・・・
一応、書いときますが体罰はダメです!
記憶がもどると、廊下に投げ飛ばされていました。
人間。恐怖が絶頂に達すると「おしっこ漏らす」という現象を私はここで体験しました。
決して漫画に限られた描写じゃないですね(笑)
殴られ慣れているはずなのに、おしっこまで漏らすのです。
かなりの破壊力だったのでしょう。
「ふざけるなら帰れ!!!!!」
そう言われた私はゆっくりと歩いて帰っていきました。
土砂降りの雨で、傘もささず、そのときおしっこが綺麗に流されるからいっかと40分ゆっくり歩いて家に帰っていきました。
昨日のことのように鮮明に覚えている。
帰り着いても、親にはなにも言わず、すぐにお風呂に入りました。
湯舟に浸かったときに体中ヒリヒリしてはじめて、とんでもなく殴られたことに気付きます。
翌日、土砂降りの雨が一転。
快晴になり、放課後、いつもどおりグラウンドで練習がありました。
昨日の出来事が若干頭をよぎり、練習に行くのを躊躇しましたが、そのときの私はそれはそれはサッカーが大好きで、放課後の練習のために学校に行っているようなものです。
「サッカーがしたい!」
これが、昨日の恐怖よりも断然に勝り、普通に練習に行きます。
そして、忘れもしません。私を見たときの顧問の顔を。
目が見開き、完全に心でこう言っていました。
「お前。よく来たな・・・」と。
いま考えると、このときに顧問は私のサッカーに対するホンモノの気持ちを感じてくれたんだと思います。
そのあとはいろいろありすぎて、長くなるのですべては語りませんが
常に私のことを見てくれていて、中学2年で3年中心のチームのレギュラーになり、県の試合で決勝戦まで行きました。
決勝戦は地元のテレビ局で生中継されます。
相手があまりに強すぎて前半終わって3対0です。
後半残り半分、あきらかに私が出る状況ではありません。
しかし、私は呼ばれます。「行ってこい」しか言われませんが、感じることができます。
「この感覚を身体に染みつけてこい。そして、3年になったとき全員をひっぱっていけ」と。
3年になっても直接的な言葉は一度もないですが、ずっと気にかけれくれているのがクソガキな私でも感じることができました。
でも、このやりとりの連続で、いまの私の「言葉にならない言葉を読み取る力」は育ったのだと思いたいですね。
そして、卒業のとき
やはり最後の最後まで私への「特別な言葉」はありませんでしたが、その翌日。
部活の最後の懇親会に言ってきた母親が家に帰ってきて、こう言います。
「あんた・・・顧問の〇〇先生がいままで一番怒ったのはあんただってね。あんなに怒ることは最初で最後だろうって笑いながら言ってたけど、あんた何したの??」と。
2年前の「あのとき」がお互いに強くあった私たちは特別な言葉が1つもなくても
ここまで深く付き合えた。
この母親の言葉を聞いた瞬間にこの顧問の先生は「キーパーソン」になります。
私に真剣な場での「おふざけ」を断絶してくれ、私は承認される人間なんだと確信させてくれた。
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