2019年03月19日
子どもの思考と行動
ある動画視聴の中で
キンコン西野さんのマーケティングを聞いていると、「子どもはそんなにバカじゃない」という問題提起がありました。
絵本を発売するときに一番多い声が「子どもにも理解できますか?」というものらしいのです。
西野さんは言います。
「そんなに子どもは理解しないものなのか」と
「大人が思っているほど、なにも考えていないのか」と。
なるほどなと。
かなり腑に落ちたので、考え、そこからこのツイートをしました。
私の考え
このツイートですべて語っちゃったのですが、子どもは私たち大人が考えているよりも空気を読んでいるし、親のことを考えている。
実際に、和菓子を私に分けてくれたときには、この考えに至っていて、次女にそのまま指摘しました。
いま考えると、騙されたふりをして食べれば良かったのですが・・・
精神年齢14歳の私は言っちゃいます。
「和菓子が好きなお父さんにあげると言ってもいらないというから、そうやってお腹いっぱいっていうんでしょ?やさしいね、めいは」
すると、恥ずかしそうに嫁の後ろに隠れたんです。
ちなみに次女は「めい」といいます。
1日1000人のお客様が来店する店舗を3つも統括していると、いろいろなお客様、強いては、いろいろな家族を目にします。
ずっと前にツイートしたので、検索が困難で引用しませんが、落ち着いている子どもの親は基本落ち着いています。
統計的には99.9%といって間違いないです。
一方、怒鳴り散らしている親の子どもは店内を走り回っています。
これって今回の話にまったく関係ないわけではないと思っていて。
子どもを対等に見ているから、子どもも親を対等に見ているのではと思うのです。
「対等」だと語弊がありますかね?
「一人の人間として」のほうが良いのかもしれません
逆にいつも怒鳴っている親は絶対に子どもを対等だと見れていないし、それは子どもも同様です。
私は「怒られるもの」なんだと滞在的にあるから、リミッターがない状態。
なんかそんな気がしました。
↓私が書いた電子書籍です↓
もし興味あるものがあればぜひ読んでください!!
キンコン西野さんのマーケティングを聞いていると、「子どもはそんなにバカじゃない」という問題提起がありました。
絵本を発売するときに一番多い声が「子どもにも理解できますか?」というものらしいのです。
西野さんは言います。
「そんなに子どもは理解しないものなのか」と
「大人が思っているほど、なにも考えていないのか」と。
なるほどなと。
かなり腑に落ちたので、考え、そこからこのツイートをしました。
イケマサ@100均のプロ販売士ライター@ike_masaki子どもはかなり考えてる
2019/03/16 18:47:09
昨日、和菓子が3個だけあって
オレが和菓子好きなのみんな知ってるんだけど、娘3人が食べた~いってさっと3個取っていった
次女がなかなか手付けないなぁと思ってたら、しばらくして
「お腹いっぱいだからやっぱりこれいらない」と。
⬇️続く
イケマサ@100均のプロ販売士筋肉作家@ike_masaki続いてる⬇️
2019/03/16 18:47:25
これって
「あげるよ」っ言ったらオレが断るのを避けた次女の行動なんだよね
条件反射で手に取ったが、そこまで欲しくなくて
それよりオレに食べてもらいたいという想いを実現するためにしっかり考えてるんだと思う
続く⬇️
イケマサ@100均のプロ販売士筋肉作家@ike_masaki続いてる⬇️
2019/03/16 18:47:40
考えるとオレも子どものころ似たようなことしてて
もらったお年玉を
家庭が裕福でもなかったから、母親に預けとくと言って渡してたんだけど
あれって「あげるよ」っていうと断れるし、悲しませるかもしれないから、子ども… https://t.co/efahoyCr48
私の考え
このツイートですべて語っちゃったのですが、子どもは私たち大人が考えているよりも空気を読んでいるし、親のことを考えている。
実際に、和菓子を私に分けてくれたときには、この考えに至っていて、次女にそのまま指摘しました。
いま考えると、騙されたふりをして食べれば良かったのですが・・・
精神年齢14歳の私は言っちゃいます。
「和菓子が好きなお父さんにあげると言ってもいらないというから、そうやってお腹いっぱいっていうんでしょ?やさしいね、めいは」
すると、恥ずかしそうに嫁の後ろに隠れたんです。
ちなみに次女は「めい」といいます。
1日1000人のお客様が来店する店舗を3つも統括していると、いろいろなお客様、強いては、いろいろな家族を目にします。
ずっと前にツイートしたので、検索が困難で引用しませんが、落ち着いている子どもの親は基本落ち着いています。
統計的には99.9%といって間違いないです。
一方、怒鳴り散らしている親の子どもは店内を走り回っています。
これって今回の話にまったく関係ないわけではないと思っていて。
子どもを対等に見ているから、子どもも親を対等に見ているのではと思うのです。
「対等」だと語弊がありますかね?
「一人の人間として」のほうが良いのかもしれません
逆にいつも怒鳴っている親は絶対に子どもを対等だと見れていないし、それは子どもも同様です。
私は「怒られるもの」なんだと滞在的にあるから、リミッターがない状態。
なんかそんな気がしました。
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m7322 at 00:18│Comments(0)