キーパーソン(1人目)研修会ってのがあってさ

2019年05月30日

キーパーソン(2人目)

キーパーソン2人目です。




ここから一気に飛びます。


なぜなら私の高校生活、浪人生活、大学生活は光がありません。
失われた10年・・・
まぁ、この底辺味わったおかげでそのあとは上昇しかないのですが。


女性と付き合うことだけしか頭になく、キーパーソンの1人目である顧問の先生が育ててくれた「サッカースキル」も捨て、浪人生活では遊びにふける。大学生活では1年間引きこもりでそのあと中退。
変態クソ野郎です




引きこもりはホンモノのやつです。
1人暮らしで、1年中ゲームだけ。外に出るのは食料の調達のみ。
このときって、時間の流れの速さがヤバいですね。




中退したあとのバイト生活も



バイトサボって、そのまま行かなくなったり
バイトのレジ中に当時付き合っていたいまの嫁のお尻触って、クレームきたり
手が滑って割ったお酒も隠して黙っていました



これが経験としてあるもんだから、いま統括店長として27人のスタッフを見ていると、全員が素晴らしく見えます(笑)
もし、学生の男の子がレジ中に付き合っている女の子のお尻触ってクレームきても私は怒れませんので。




そして、ハローワークで偶然
新規オープニング正社員募集」を見て、電話し、合同面接を受けます。



電話がきて「正社員としての採用ではなく、準社員としての採用はどうでしょうか?」と。
まぁ、働くこともずっとしていなかったので、また探せばいっか!と入社します。



不思議ですよね・・・
そんな会社にもうすぐ15年いるんですよ・・・


しかも、いまやその会社を変えてやろうと奮闘している始末。



それは、この2人目のキーパーソンである上司のおかげです。




小売の世界では「スーパーバイザー」という名でピンとくる方が多いかもしれません。
自社では「地区担当」という名で認知されています。



最初の会話は1人目のキーパーソン同様に怒られます(笑)



閉店後のレジ締めでレジ差異が5000円ほど出たときです。
当時、少しでも地区担当の耳に出現したい私は、店長を飛び越え地区担当に直接電話しました。


そのときの店長は兼任でして、まぁこの方がホントにできない店長で私も若かったものでして、悪気はないのですが、有力な指示ももらえないだろうと、報告を1つ飛ばしたんですね。



まぁ当たり前ですが、こう言われます。



報告する順番が違うだろ!」と。




とにかくそのあとも、私はその地区担当にメールをしまくりました。
すべて店長になりたいと夢を見た私の決意表明です。
オレはここにいる!!」と。



もちろん、口だけじゃない。
毎月1日しか休まず、15,6時間毎日働いていました。
全員ライバルですからね、みんなこれぐらい働いているだろうと思ったら、西日本で超過勤務時間が1位だったことがありますが・・・
(まぁ、このパワープレーはいまの時代では歓迎されないです)



それを1年ほどやっていてようやく、「あいつマジだな」感を持ってくれます。
私を気にかけてくれるようになったのです。
それがわかったのは、あの顧問がくれた同様の視線だったから。


そうなってくれると、さらに私は加速します。
期待を大きく超えるために、成果も出し、とことん目立っていきます。



それで、2年目にしてやっと「池田くん、社員試験受けてみるか?」と。
そのときの試験は大阪であったんですが、空港に着くと
場所がわからないなどあれば、連絡しろよ!頑張れ!!」と


社員登用試験に受かり、
それからもホントにいろいろやりました。
シャボン玉を売るために店の中で実演販売し、店内をシャボン玉だらけにしたことも。



出る杭は打たれるが出過ぎる杭は打たれない



まさにこれで、もちろん敵も多く作りましたが、最大の理解者も作ってきた。
その中の1人がこの地区担当でした。



宮崎ですべてをやり尽くし、目立ち過ぎた私は、その担当から連絡がきて
熊本に今より規模の大きい店がある。やってみるか?」といわれ
「はい!!」と即答しました。



いまや、その熊本に家も建てて、3店舗を統括している。



この方とのエピソードを語れば、3万文字はいける。
(あっ!次のテーマ、これでいこうかな・・・)


その中でも一番驚いたのは、4年前の熊本地震のとき。
21時過ぎ、閉店後のモップがけをしていた私は、大きな揺れとともに商品がかかっているフックにつかまり、その場に倒れます。
まわりを見渡すと、空間がグニャグニャになっている感じで、天井の防炎壁がスローモーションで割れていきます。
揺れがちょっと収まったので、避難扉から駐車場に逃げました。
地震が起きて、3分も経っていないそのとき。



事務所の電話がかすかに聞こえます。
震度7の直後です。まだ、微妙に揺れているなか、なぜだかその電話には出らないといけないような気がして、事務所に入ろうとしたとき、一緒に逃げたスタッフが



店長!!まだ揺れているからだめだよ!!」と言ったのを覚えています。




それでも電話に出たら、この地区担当でした。
ちなみに、このときは直属の上司ではなく、まったく別のエリアの担当だったのです。


池田くん、大丈夫??
いままでの社会人生活で、この手の質問には100%「大丈夫」と答えてきた私がはじめて「大丈夫じゃないです」と答えます。


「すぐ片づけようと思ってるだろうけど、売場には戻ったらだめだよ。しばらく営業は無理だろうから、とにかく身の安全を優先して、そしてゆっくりでいいから、スタッフの安否確認をお願いね。電話は使えなくなるだろうから、メールでお願い。」



と。


なんと翌日に、公共の交通機関が完全にマヒしているなか、自家用車で救援物資を詰め込んで北九州から熊本まで飛ばしてきたのです。
私は私で、半日でぐちゃぐちゃな売場を3人のスタッフとともに立て直し、明日営業ができるところまでもっていっていたので、担当は相当驚いていましたが。


ただ、不運にもその日の夜、同じ震度7の地震がきてしまうのですが・・・







そんなこんなで(かなり省きますが)




その地区担当もいまや西日本所長という
1000店舗ある直営でTOP5に入る方。



それでもいまや、LINEのやりとりもさせてもらえている。
個人的な連絡が取れることが普通ではあり得ないのですが。
池田会」というものも半年に一度、開催してくれて、私の知恵や知識を聞かせてくれと集まりを開いてくれます。



そして、これだけ環境が大きく変化している中で自社も大きく変わるべきだし、私自身も大きなことを成し遂げたい。
最大の理解者である上司が西日本所長という立ち位置にいる今が私にとってチャンスなのです。


ちなみにこの方は自書のほとんどのタイトルで一度は登場するほど私の人生に影響力を持っています。




3人目のキーパーソンも上司なのですが、またこの方とはタイプが違って、私の人生を大きく変えてくれた。



とことん、私は上司に恵まれた幸せ者だと思っています。








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もし興味あるものがあればぜひ読んでください!!


























m7322 at 00:40│Comments(0)

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