2018年02月

2018年02月28日

上司の配信メールについて考える2

まずはコピペから

【多様性と価値観】

 

今日、読んだ本の中で心に響いた箇所があったので、備忘録ついでにこちらに書かせていただきます。

以下、引用です。

 

英語などの外国語を学ぶことで、72億人いる世界の人々のことが視野に入ってくる。

この中から気の合った仲間を見つけられるし、いろいろな価値観や考え方を学べる。

多様性を知ることで、人は他人の価値観に対して寛容になれるし、寛容性はその人の優しさに結びつく。

 

という文章です。

思わず、そうなんです!と心の中で叫んでしまいました。

 

この文章の中の、「多様性を知ることで、人は他人の価値観に対して寛容になれるし、寛容性はその人の優しさに結びつく。」

の部分にぐっときてしまいました。

 

多様性とは、幅広く性質の異なるものが存在すること、相違点などの意味です。

人間でいうと十人十色、みんなちがってみんないい、みたいなことだと思います。

つまり他人の生き方、考え方、価値観などに寛容になる、受け入れるということでしょうか。

 

自分の価値観にとらわれすぎず、価値観の違いをそんな考え方もあるよね、そういう見方もあるのか、と受け入れてみると人にやさしくなれる。

それは言い方を変えると器が大きくなる、ともいえるのかもしれません。

 

その反面、時には人に何と言われようと自分の信念をつらぬく、ということが良い結果につながることももちろんあります。

しかし特に組織で働く以上、ほとんどの場合が多様性を認め、他人に寛容になったほうがこれまでの経験上うまくいく気がします。

 

私自身、自分の価値観、信念というものがありますが、それを信じている反面、もしかしたら自分の考え方って間違っているかもしれない。と心のどこかで常に思っている部分もあります。

なぜなら、5年前、10年前の自分の考え方、価値観、もしくは書いた文章など思い返したり、読み返したりすると、

こんなことを思ったり、書いたりしていたのか…と恥ずかしくなることが多々あるからです。

それはある意味、過去の自分よりも成長したと言えるのかもしれません。

 

だから、今の時点では自分自身のベストアンサーだと思っていることも、数年後には自分自身で否定する可能性があるのです。

そう考えると、誰の意見、価値観が正しくて、だれだれのが間違っているとは一概に言えないと思うのです。

 

私の大好きなカレーには、じゃがいも、にんじん、たまねぎ、にく、隠し味にコーヒーが入ってトータルでおいしくなります。

具材それぞれに特長があって、それぞれが合わさっておいしいカレーになります。

だから、多様性を認めることは、あなたはにんじん、わたしはじゃがいも、えっ、コーヒーも入ってくるの?

それぞれ全然違うのに合わさるとこんなにおいしくなるんだね~。

ということでしょうか()

 

この多様性を認めるということは本当に生きる上で大事なことだと思っています。

そういう考え方もあるよねと、完全に受け入れられなくても、寛容になれれば自分自身が苦しみにくくなるし、自然と器も大きくなります。

 

多様性を認められるようになるためには、冒頭の文章にもありましたが、広い視野で考えることが大事です。

つまり自分の世界を広げることです。

私が本を読んでいてよかったなと思うことの一つに、自分の世界が広がり、いろんな価値観に触れられることがあります。

そうすることで、実際に海外に行かなくても、著名人に会わなくても、タイムスリップしなくても、過去から現在までのさまざまな考え方、価値観を学べます。

 

本の中には、目から鱗がおちるような考え方もあれば、買って損したという内容のものもあります()

しかし、それも込みでいろいろな価値観に触れる経験になります。

 

自分と同じ価値観の人といることは本当に居心地がいいです。

それにプラスで、自分と価値観、考え方の違う人と話してみる、何か本を読んでみる。

というのも、考え方次第では非常に自分にとってプラスになると思います。

 

日本だけでも12千万人、世界には70億人以上の人がいます。

世界を広げて多様性を感じてみましょう。

きっと世界が広がると思います。

 

〇〇より




なるほど、今回は多様性と価値観。


人はそれぞれ正義があって、争い合うのは仕方ないのかもしれない。
だけど僕の嫌いな彼も、彼なりの理由があると思うんだ。


これはセカイノオワリのドラゴナイトと歌詞の一部。


こういう思考で生きている人を寛容という。
そして、それを持ち合わせている人はそんなに多くない。
昨日の記事でも書いたけど、「怒る」人は甚だ多いからだ。

客観的視野ともいえる。
あの人からはこう見えているのかもしれない、あの人はこう考えているのかもしれないというその視野の拡大は価値観の共有ポイントが発見しやすく、つながりと協力がそうでない場合より容易になる。



例えば、アルバイトが連絡もなく遅刻してきたときに。


「連絡もせず何遅刻してんだよ!!常識ねぇのか。責任持てよ!!!」なんてことを言えば、それはただただ主体的な指摘になり、このアルバイトは二度と遅刻はしないだろうが、あなたのためになんて行動をとるのかどうか。


一方。
「どうした~!?遅刻は仕方ないけど、今度から連絡はしようよ!心配だから。」これを言葉にする前にこの人はまず遅刻した人側の視点でまず考えていることがわかる。
言われた人はまた遅刻するだろうか。そして存在を承認されたこのアルバイトは自己実現のステージに向かう。



鬼とならねば部下は動かずとかいう誤った上司を量産した高度経済成長期はもう20年前に終わっているはずだが、その絶滅危惧種はまだ、会社の上に生き残ってたりする。



あなたは教育なんて大それたことはできない。
それよりも大事なのは承認の探求である。


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m7322 at 22:35|PermalinkComments(0)

大人のモラルの低さ

昨今、大人のモラルの低さが目立つ。
販売、サービスの場において、それはとても顕著に表れる。

先に断っておくが全員ではない。
しかし、総じて若者より大人が2:8で多い。


言えば、コト消費に変わってから、販売側は生き残りを賭け、サービスの向上に注力し、争ってきた。
それをここ20年以上積み重ねてきたものが、1つ消費者の王様気質を作り上げてしまった。
販売側を弱者と見下し、自身を強者と位置付けるその姿勢は大人が8割。
それも、ミレニアム世代以上の大が付く大人(団塊の世代も含む)。
こちらが歯向かえないことをいいことに、それはそれは自己中心的な言動を展開する。


実店舗においてはレジを抜かす者、クレーム、自己中心的な主張、他のお客様の迷惑、店のシステムに反抗するもの、暴言、暴動、脅しなど。


もちろん、販売側の不手際などもあり、こちらの非を一切認めないわけではない。
その「非」にも強弱はあって、不良品を販売してしまったり、危険な目に合わせてしまったりなどの「強」の部分もあれば、ご要望に応えられなかったり、少しお持たせしてしまったりの「弱」の部分も。それは状況によれば逆になることもある。
ただ、その強弱に関わらず、私のいうモラルの低い大人はそれを一切許さない。


余談だが、こんなエピソードがある。

ある老夫婦がケーキを2つ買って、2人で食べるのを楽しみ家に帰って開けて見たら、なんと1個しか入ってなかった。
お店に電話したら、店員が「本当に申し訳ございません。ケーキは箱を開けるときが一番ワクワクする瞬間であるのに、ものすごく残念な気持ちにさせてしまいました。すぐにご自宅までお持ちします」と。そして、持ってきてくれた箱を見るとケーキが3個入っていたという話。
その老夫婦はそれから、そのケーキ屋のファンになったという。



これは、クレーム対応として、お客様の立場に立つという視点の重要性を説くもので「ケーキの箱を開けるときが一番ワクワクする瞬間」というワードにフォーカスされるのだが、私はこの老夫婦のクレームの内容も考える必要があると思うのだ。


「てめ~ふざけんじゃねーぞ!!客をなんだと思ってるんだ!!!すぐに持ってこいや」なんていう客にこのケーキ屋は全く同じ対応ができたかということ。
謝罪もするし、すぐにケーキも持っていくとは思うが、「ケーキの箱を開けるときが~」なんていう余裕も、ケーキを3個入れて渡すということもなかったのかもしれない。
勝手な妄想だけど、この老夫婦は「すいません・・・さっき2個ケーキを買ったのですが、1個しか入っていなくて・・・・」と電話で言ったに違いない。
その声のトーンに、この店員がすぐにお客様の立場に立てて「ケーキの箱を開けるときが~」というフレーズが自然と引き出されたのではないかと。


重要なので繰り返しになるが、販売、サービス側の非とは強弱はあれど、ミスは絶対許さない客が多い。感情のないロボットと勘違いしているのか、ただただ弱者と見下しているのか、俺はお客様だということなのかはわからない。
その客が過去の人生で一度もミスを犯さず、生きてこれたというならば少しは理解はできる。
そっちプロでしょなんて浅いツッコミはいらない。
はじめて仕事するものがいきなりプロにもなれないし、初心者と気付けば、強く出てくる客も実際多い。


またこの文章を見てもわかるように、こちら側が「お客様」と心底呼べるのは、こちら側に寄り添ってくれるグループで、俺はお客様だぞ!と言う者には「客」と呼ぶ。
寄り添うという販売側が優位に立ってしまうだろうか。普通でも十分である。
「店員の態度が~」というフレーズを良く見るが、「客の態度」もないわけはないだろう。


クレームはありがたいお客様の声というのも甚だ疑問。
そういう性質も1つにあるとは思うが、クレームを直接浴びせるのは基本的に異常。
直接浴びせるとは、店内で怒鳴ったり罵ったりということね。


冒頭でも書いたように、販売、サービスはコト消費の流れもあり競争が激しい。
消費者は店舗選択が基本的に容易にできる環境であること。
不快な思いをしたのなら、黙って選択を変えればいいだけなのに、不満不平を浴びせさせ、またその店を選択することは理解に苦しむことがある。


マクロ的な視点というか、非自己中心的な視点というか、小さな経済圏における需要と供給の関係性ってお互い尊重しあうことが本物ではないだろうか。
老夫婦とケーキ屋さんみたいに。


決して、消費者のストレスのはけ口、販売側のサンドバッグ化ではないと思う。
そんな職業に子どもが憧れることもできないし、働いているものは誇れるわけもない。


レジの会計時、「どうも~」なんて言ってくれるお客様への「またお越しくださいませ」の本物感。



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2018年02月26日

投資なんか、おやめなさい 著 荻原 博子

最近のトレンド的には逆行しているタイトルでレジ前に置きやがっていて、思わず購入。
ちなみにレジ前は販売のパワースポットである。
詳細はこちらに(笑) ↓





また、帯がいいよね。思いっきりこっちを睨み、指を向けてる姿は、パッケージ戦略としてはこの上ない。これには帯が付いていないけど・・・



今、ガンガン投資に走っている身とすれば、こういう主張も聞くことで、考えが深まりそうだったことも大きい。


結果を先に言うと、この方は投資自体は否定をしていなくて、「貯めるよりもいい」という思考停止状態で銀行などの食い物にされかけている弱者を救わねばと立ちあがって書いてあるということ。
個人資産に食い込むしか道がなくなった金融機関は真実と真実で塗り固められた「嘘」を預金者に提案し、その手数料を食いつぶしている。

この方が挙げているものは


・外貨建て生命保険
・毎月分散型投信
・高金利の定期預金
・窓口購入の投資信託、外貨預金
・純金積立、投信積立
・マンション投資



などなど


私が個人的に思ったのは、積立投信。

実は積立NISAで4銘柄ほど積立をしているのだが(笑)
ただ、その前は普通の積立投信をもしていた。


この投信積立を引きずりこむキャッチコピーって
「少額から始められる」
「毎月コツコツと」
「知識はなくても」

の3大コピペは間違いない。
つまりハードルをグンと下げることで、私でもできるかもと誘いこむのだ。

荻原さんはこれが銀行からのアプローチならば、やばいと警告しているのだ。
(たしか郵便局もやめてた方がいいと書いてあったが)


私は株もやっていて、積立投信もしているが、後者の方が実はさっぱりわからなかったりする。
ご存じのとおり、積立投信はいろいろな株が混入しているもので、自分の裁量ではなく、ファンドに任せる形。(深くは記載しないが)

つまり
「少額から始められる(リターンが低い)」
「毎月コツコツと(手数料はかかるよ)」
「知識はなくても(わからないままでいい)」

という、マイナス要素があり、そもそも誰でもできて、少額でできてリターンあれば、誘われなくても成り立つ市場のはず。


逆に株だと
「少額では始まられない(ハイリターンハイリターン)」
「知識がなければ不利(勉強しないといけない)」


という、ハードルがあるからこそ差が付く市場。


また少額から始められないことが逆に良かったりもする。
完全投機的な目的であれば別であるが、生活資金を確保した上で儲かったらラッキーぐらいのマインドでやる分にはすごくインプットがはかどる。

私はお小遣いをためてその全資産(といっても少額)である株を買った。
この会社には、私のお小遣いの命運がかかっている。
それもあって4冊ほど本を買いあさり、ブログやサイトでも今凄く勉強している。

そういう立ち位置で株と付き合うと勉強にもなるし、うまく予想が当たればお金も稼げるという、この荻原さんも勧める「ちょい投資」ができるのではないだろうか。


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2018年02月23日

上司の配信メールについて考える

私の上司は「地区担当」という役職で、九州の35店舗ほどを担当する、いわばスーパーバイザー的な役職になる。

この方は38歳、私より5歳ほど年上で、職歴なんかも私より5年ほど大先輩になるのだが、会話は終始敬語を使用し、謙虚の固まりである。


私を貪欲の世界に引きずりこんだのはこの方との付き合いで、一番に本を読むことの投資メリットを植え付けてくれた。


そして、この方は情報のアウトプットや考えていることの見える化として、会社のメールを使い、自分の下で働く30人ぐらいの店長に発信している。
その下にはスタッフが100人近くいる。


いつも、この方にあったときに言うのだが、この発信を30人程度の人間しか見ないのは、凄くもったいないと思う。ブログやSNSで発信しないのかと。


その度に返ってくるのは、ブログとかは書かなきゃいけない使命感みたいなものにとらわれそうで・・・書きたいと思ったときに書ける会社のメールの方が気が楽だ。
店長たちの視野の拡大にも貢献できるしと。


毎日、更新しようとしなくてもいいし、ただコピペするだけであるから、どうにか引き続き発信するように説得はしてみる。
なんだかんだで、東証一部上場企業の、九州担当という店舗と本部のパイプ役のプロである。
私なんかの投下文章より全然、需要価値があるはずだ。


と、少し話はそれたが、この方が世に発信しないのなら、私がコピペしてやろうでないかと決めたのだ。許可はとった記憶はある。



【忘れる技術】

今日は私が個人的に人間の持っている最も優れた機能の一つだと思っている「忘れる」という機能について書きたいと思います。

生きていれば、投げ出したくなること、逃げ出したくなること、消えてしまいたいと思うくらいつらいこと、本当にたくさんのつらいこと、苦しいことがあると思います。

これは誰しもが経験することで、しかも不定期に起き、やっかいなことに複数の問題が同時期にあらわれてきます。まさに同時多発的におこる現象で、私の中では、もはや1,2年に数回の単位でやってくる恒例行事となっております。


まさに問題山積状態でどこから手を付けてよいのか、この先解決の目途はたつのか、不安が不安を呼ぶ、世界大恐慌状態です(笑)


そんな時、毎回思い出す言葉があります。
それは、私が高校受験真っただ中、長く苦しい受験勉強に、きついと弱音を吐いた時に母から言われた言葉。



「明けない夜はない」



20年たった今でも思い出す言葉です。
そして人間の凄さはここからです。

あんなに眠れなくて、あんなにくよくよ考えて、あんなに苦しんで、本当に夜は明けるのかと思うくらいに長く感じた夜が明ける。
朝起きて、日常生活を始めてみると、あんなに眠れなくて苦しんだ夜のことをすっかり忘れて、「昨日の夜は全然眠れなくて3時間ぐらいだった」と笑えること。

人間って強いな!って本当に思います。
どんなにつらいことがあっても、数カ月後、数年後にはあんなこともあったよね~と笑い話に転嫁できる。
私はこれを「忘れる技術」と命名しました。


この「忘れる技術」を駆使すれば、たいていのことは水に流せます。
私自身、夫婦げんかのあとにはよくこの技術を駆使しております(笑)


だから大変なことが重なってつらい時期、よくこう考えています。
今はつらいけど、問題が解決したあとの数カ月後、数年後にはすっかり忘れているから大丈夫。
私には「忘れる技術」があると言い聞かせます。
この真理を知っていると自分自身が本当に救われます。

人生山あり谷ありとよく言われますが、その通りで、朝がくれば夜もきます。
日中全力を出している人は、疲れるから夜考える間もなく寝てしまいます(笑)
そういう人にとっては夜が来たとしても短く感じるんだろうな~と思います。


これからも朝と夜が必ず交互にやってきます。
朝がくれば、夜のことは忘れ、夜がくれば朝のことは忘れる。
大丈夫です。我々には「忘れる技術」があります。
なるべく夜が短くなるように日中の行いをよくして、夜はぐっすり眠りましょう。

良いことも悪いことも、そして最近は人の名前までどんどん忘れていっている私は、「忘れる技術」を通り越して、ただの健忘症なのかもしれません(笑)

〇〇より




とこんな感じである。


これについて私の考えを語ると、あまりの文字数になるため今回は我慢するが、こんな内容が店舗のPCに流れてくる。もしかしたら、どこかの店長が悩んでいたために発信したのかもしれない。
もちろん、実用的なものも多くある。
今回のような、マインドセット的な論理はわかっちゃいるけど、つい忘れてしまう。
膨大な情報に埋もれたり、忙しい毎日に追われ忘れたりするからだ。
それを、会社(店舗)に出社して、始業前にこのような形でインプットしてくれるものは、なかなか有効なツールだと思う。



今後も「上司の配信メール」というシリーズで更新していく。



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2018年02月22日

人を改心させる、その心とは?

ここ一週間、この言葉ばかりがアタマをよぎる。



平田さんのリツイートきっかけにズドンと入ってきた言葉。





なぜかというと、昔同じ職場で私を一番苦しめた言動に
「何も言われなくなったらおしまいですよ。まだ、色々と言われるうちはいいんですよ」
という根拠を振りかざして、私が走り続けようとする腕を掴んでは邪魔をする人が過去にいた。


その人は続けてこう言う。
「もし、あなたに対して何も言わなくなったら諦めたと思って下さい」と。


もはや、銃口を突き付けた脅しである。
その人が良しとするように行動しなければ、即刻撃たれて終わり。


もちろん正論が前提で、その根拠のお墨付きであるため反論の余地もない。


もはや、その気持ちや状況など何も言葉にできなくて、逃げ出したくなって、上司に助けを求めた。


他県の遠方であるが、すぐにスケジュールを空けて飛んできてくれた。
「とりあえず、外で話ししようか・・・」と私を外に連れ出し、話を聞いてくれた。


しかし、上に書いたようにこの状況を言葉にできないのだ。
何も説明ができなくて、「異動させて下さい」とだけがやっと言葉になった。


もう、この時点で私が苦しめらている原因が分かっただろう。


「池田くんの気持ちわかったよ。言葉にできないよね。黙っていうこと聞いてくれよ!って感じでしょ?」


ズバッと言い当てられたそのとき、なぜか泣いてしまった。
もちろん、ポロっと涙がという感じだが、20代後半の大人である。
泣いたことには変わりない。


そのあと結局、解決はしなくて、「新しい流れ」と「時間」が解決したのだが、その答えが5年後越しに解決されたかのような感覚。それがこのDaigoさんの言葉。


人の考えややり方を変えようとする行為は一見、その人のためを思ってという常識を帯びているが、本当はその変えようとする、もしくは変えたとする自分の姿に酔う自己満足ではないのかということ。


そのあとに続ける言葉で、それが本当に改めなくてはいけないものであるならば、その本人が自分で気付けるように見守ることが重要だと言っている。
もちろん、見守るというのは相手がわからないように、気付かせてあげるというフォロー的な概念もあるはずだ。


このツイートの反応に、そんなの言っていたら「親心」とかも否定することになるんじゃね?
みたいなものがあったが。


仕事上、一日何百組と親子連れを目にするが、親に怒鳴り散らされている子どもほど落ち着きがない。怒鳴られたあとも、特におとなしくなるわけでもないし、ひどいときは泣きじゃくって火に油状態。
「店の中で走るんじゃね~~~~!!!」と店内に響きわたる、乱暴な言葉で罵るなんてよくある話。
子どもとは暴れるものだし、あとで諭せばいい。
むしろ、大声張り上げて、他の客を萎縮させているあなたの方が問題だよと。


一方、何も言わず、ドンと構えている親の子ほど、静かに黙って後ろをついてきている。
まさに、これが見守るということ。


もちろん、命の危険や人を傷つけるなどを犯した場合は、そのドンと構えている親は全身全霊、その子どもを怒るのだろう。
その子どもは「これはだめなやつ」と真の分別を積み重ね大人になる。


一方、毎回怒鳴られている子ども、本当に悪いことをしたときは当然怒られるのだが、それはいつものことだ。悪いこととそうでないことの分別ができない。
「どうして怒ってもわからないんだ」という、それに気付いていない親は怒り方、つまり「強さが足らない」と勘違いして、手を出してしまう。
それを積み重ねて育った大人が良いこと悪いことの分別ができないことはだいたい予想できる。


話が少しそれたが、人に改心させる心は自分の存在を正当化するもので、決してその言われた相手はその真意に気付かない。自分で気付かせることだけにフォーカスしないと。
それは、子どもの教育でも同じことだ。



と考えた。



もちろん、この考えたものも共有はしたいな~とは思うけど、押し付けるものでもないと思ってる。
Daigoさんの発信を見て、気付きがあった。
そのヒントをもとに考えを文章で整理してインプットするものだから。


私も長女に対しては、口うるさく叱ってしまう。
「勉強しろ」
「やることやったのか」
「脱ぎっぱなし」
「歯は鏡の前で磨け」

挙げるとキリがない(笑)


それは、本当に長女を改心させるものではなくて、自分の「親」という立場を正当化させたいんだろうなと思ってしまう。

気付かせるようにやってみよう。


ちなみに、すぐ子どもを怒ってしまうという方は
「父は忘れる」という詩があるのでググるといいです。
子どもの存在が尊くなります。
虐待している親にホント読んでもらいたいと思う





おっ!最近書いたやつも発売されたみたい!!

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